―北条街道の道標―

(平成22年8月15日)

 高砂市から加西市北条までの県道43号線周辺にはかなりの道標が残っています。それはほぼ旧北条街道(加西市では高砂街道)と重なりその主な経路は、高砂→小松原→古新→米田新→米田→平津→西井の口→神吉→投松→志方→北条です。

 高砂市内の道標は、浜街道や山陽道に掲載しているので、ここでは加古川市神吉町、志方町周辺を中心に掲載します。

 

(平成28年11月28日、一部変更)

 一部に有馬街道沿いの道標が混在していたので、下部に「加古川市内の有馬街道」を追加し、並べ替えました。 

 

東神吉町出河原三叉路の道標 (←ここをクリックすると所在地を表示)

(平成22年8月23日追加)

● この道標は北条街道からは少し離れた場所になります。加古川の渡し(加古川市米田町船頭(ふなもと))から法華山方面へ向かう東神吉町出河原の閑静な住宅街の三叉路にありました。

● 右面  (判読不能)(「左 加古川道」?)

  正面・東「左 法花山 /神吉 /北条」

  左面  「右 加古川道」

(↓下の写真をクリックすると拡大できます) 

  

東神吉町砂部三叉路の道標 (平成22年8月23日追加)

● この道標は、「出河原三叉路の道標」の案内にしたがって左(西)に向かい、途中加古川バイパスで分断されますが、近くの暗渠を通り県道390号神吉船頭線を越えたあたりの住宅街の三叉路にありました。

左へ向かうと田畑の中をくねくねとカーブし、加古川の渡し辺りに出ました。しかし地図で確認するとこの辺りは山陽本線やニッケの工場があり、道路事情は当時とは大きく変わっていると思います。

● 平成23年10月9日追記、「加古川の道標」によれば、右へ行くと平津、高砂へ、左に行くと船頭(ふなもと)をぬけて加古川に至る、とありました。

● 右面  「願主 高砂巳年男」

  正面・北「右 高さこ /左 加古川」

 

東神吉町の道標

● この道標は、東神吉町神吉の北条街道と県道387の交差点にあります。ここから県道387を東に進めば「神吉公会堂付近の道標」に出ます。高さは157㌢と比較的大きな道標です。多分当時は人通りも多かったのでしょう。

● 右面  「北 法花山二り北條四り」

  正面・東「東 大野三十丁三木三里半 /國包(くにかね)二里粟生(あお)三里」

  左面  「南 高砂 五十丁 乙明治八年 /亥七月建之」 (1875、きのと・い)

  背面  「西 姫路三里半時光寺壱里 /曽禰五十丁石宝殿廿五丁」

 

東神吉町の道標② (平成22年8月17日追加)

● 「東神吉町の道標①」から県道387号平荘魚橋線を東へしばらく進むと三叉路になります。ここを左へ向かうと「神吉公会堂付近の道標」の方向になります。この道標は、三叉路を右の方向に行った一本目の角の水路の上にあります。この道路はここから県道390となり高砂方面へ、左に行けば再び県道387になり加古川国包方面に行けます。東から来た場合には、ここから右に行けば「常楽寺裏の道標」のところに出ます。

● 正面・東「右 法花山北條」

  背面  「右 高砂 /左 加古川」

 

神吉公会堂付近の道標

● この道標は、神吉公会堂の少し東の三叉路にあります。この三叉路を左(県道387)に行けば、平荘町西山を通り、加古川を渡って国包方面へ行けます。前掛けを少し上げて写真を撮らせていただきました。また、近くには「風土記の道」の説明板がありました。それによれば、古代山陽道は加古川の野口と高砂の魚橋の間は、加古川の氾濫によりたびたび不通となったので、その時の迂回路としてこの道路は重要視されていたということです。古い道のようです。 

● 右面  「丙寅十二月」(ひのえ・とら、年代不明)

  正面・南「(坐像)左 大野 /国包」(下部は埋没)

  左面  (判読不能)(「願主 者な(はな)」らしい文字があるようです)

  

平荘町里大歳神社内の道標 (平成22年8月19日追加)

● この道標は、北条街道からはかなり東に外れます。池尻橋の西の大歳神社内の石仏群の中にありました。付近の石仏がここに集められたものと思われます。道標は一番右端です。前掛けをあげてみましたが、蛾の卵らしいもので白くなっていました。前掛けをおろしたままの写真なので文字はわかりませんが、「みや」は日岡神社を指しているようです。この付近に加古川の渡しがあったような表示になっていますが、「渡し」の場所は確認できません。

● 正面・北「(如来坐像)左 大野みや 道」

 

東神吉町常楽寺裏の道標

● ここからまた北条街道周辺の道標に戻ります。

● この道標は、東神吉町の常楽寺の裏にありました。 ここから右(北)に進むと「東神吉交差点付近の道標」で北条街道に出ます。山陽道の加古川の渡しから法華山一乗寺へ向かうコースであったのかもしれません。

● 右面  「左 加古川道」

  正面・東「右 法花山 /北條 道」

  左面  「明治廿三年十月立之」(「立」は異体字)

 

東神吉交差点付近の道標

● この道標は、県道43号高砂北条線の東神吉町交差点の少し東の旧北条街道沿いにあります。ここからまっすぐ南に向かえば、高砂の相生の松に行けます。勝手な想像ですがこの標記からみると同じ向きで道路の反対側に設置されたいたのでしょうか?

● 右面  「右 高砂相生松 /左 加古川北在家 道」(「松」は異体字)

  正面・東「右 法花山北条 道」

  左面  「時(異体字)嘉永二己酉八月立之」(1849、つちのと・とり)

 

神吉山ふもとの道標① (2基)

● 「東神吉交差点付近の道標」を北に進み現在では道路が途切れる辺りに、この道標はあります。中央の写真の一番右と左の自然石の二つが道標です。どこかから移設されたようですが、詳細は不明です。

● 右端の道標

  右面  「明治十二卯年四月建之」

  正面・東「(如来坐像)右 大のくにかね /左 やまミち」

  左面  「施主 松本武七 /神吉与太」

● 左端の自然石

  右面「右加古川」

  正面「左・・・」(判読不能)

 

神吉山ふもとの道標②

● この道標は、上の「神吉山ふもとの道標①」の西側30㍍ほどの場所にあります。この辺りが北条街道と法華山への分岐だったのでしょうか?

● 右面    「明治三十四年三月」

  正面・ほぼ南「(観音立像)右 北・・・ /左 法・・・」 (土中で判読不能)

 

神吉町宮前の道標 (2基)(平成22年8月17日追加)

● 立派な祠の中には二つの道標があります。右側の道標は角柱型ですが、左のは仏像台石型になっています。ここには、かって旧北条街道から水路沿いに神吉八幡神社方面に続く道がありました。田んぼの中の素朴な道標です。この辺りは法華山一乗寺へ向かう道筋のせいかこのような仏像を彫った道標が多く見られ、現在では道標というより信仰の対象として大切に護られているようです。

● 右側の道標

  正面・南「(地蔵坐像)右 北条 /左 本つけ」

● 左側の道標

  正面・南「右 北条 /左 法花」

  左面  「右 加古川」

 

神吉町宮前石棺横の道標 (平成22年8月17日追加)

● 宮前の道標の少し西に、石棺や地蔵がありますが、その一角の大きな樹の根元にこの道標が置かれていました。旧北条街道からの水路沿いの道に建っていたもののようです。

● 正面・西「すぐ 高さご /か古川」

  

志方町細工所の道標 (平成22年8月19日追加)

● この道標は、県道43号高砂北条線の細工所北交差点から同118号小野志方線へ少し入ったところの民家の隣にありました。メイン道路の道標らしく遠方の場所が案内されています。それぞれの面に進む方向と地名が書かれています。各面の「○」は欠損の個所です。

● 右面  「東 ありま三木」

  正面・南「すく 北条た志゛ま /施主 村 利右ヱ門 /利吉/つま」(北条 但馬)

  左面  「西 ひめじひ○みね」

  背面  「○高砂加こ川 /嘉永五年 /壬子二月」(1852、みずのえ・ね)

 

志方町大沢自然歩道の道標 (平成25年12月25日、追加)

● 志方町細工所をすぎ、山陽自動車道加古川北ICの入り口の200㍍ほど手前のあぜ道を左に進むと、山のふもとで自然遊歩道の交差点になっています。その四辻の北西の角に古い地蔵尊の横にこの道標がありました。

● 正面・南「(地蔵坐像) 右 ほうじょ /左 ほっけ山」 

―加古川市内の有馬街道ー

 (平成28年11月28日、変更)

 加古川市内の有馬街道沿いの道標を下記の通り並べ替えました。

 「有馬街道の道標」姫路市飾東町唐端新の八幡神社から東に向かい、加古川市の志方町から加古川市八幡町宗佐までの道標を掲載しました。宗佐の東、三木市からは再び「有馬街道の道標」に戻ります。

 

志方町永室の道標(平成22年8月17日追加)

● この道標の北に長楽寺がありますが、ここの本尊は安産祈願として有名な「谷の子安地蔵』です。道標の正面にある「谷ぢぞう」は、これを案内するものです。姫路市飾東町方面から小野や市場への通り道になっていたのでしょうか?細い道ですが近くに比室バス停がありました。町名は永室(ながむろ)ですが、バス停は比室になっていました。

● 右面  「すぐ ひめぢ」

  正面・南「右 谷ぢぞう」

  左面  「すぐ おの /いち者゛」(いちば)

  背面  「安政四丁己歳建之」(1857、ひのと・み)

● 平成22年9月5日追記

 印南郡史によれば、助永村と比室村が合併して「永室」となっています。

  

志方町原の藤池公会堂前の道標

● この道標は、たくさんの石仏と一緒にありました。一番左が道標です。現物もほとんど文字が読めませんでした。資料によれば、下記の通りです。また、形式も「光背型」となっているので、上部が欠損しているのでしょう。

● 正面・西「・・・ありま /(地蔵立像) /・・・本つけ山」

 

高御位山登山口の道標 (平成24年5月20日追加)

● この道標は、有馬街道からはかなり南に外れた志方町成井の高御位山の登山口に、常夜燈とともにありました。風化が激しく銘文はかなり不鮮明ですが、加古川市の資料によれば下記の通りでした。高御位山頂まで十八丁、高御位山は標高300メートルで、ほどよいウォーキングコースにもなっています。また、「シマムラ」は、高砂市米田町島を指しています。

● 右面  「シマムラ /石工吉兵ヱ」

  正面・東「安政二卯三月 /○○當村中」(1855年)

  左面  「是ヨリ十八丁」

  背面  「○○村 /十介 /清三郎 /友三郎 /○右ヱ門 /善兵ヱ /九右ヱ門

                同 /新左ヱ門 /十介 /滝造 /新介 /彦兵ヱ /増太郎」

  

志方町西飯坂天満宮前の道標

● ここは、有馬街道北側の天神山のふもとにある天満宮の参道脇になります。ここは少し高いので南側は眺めも良い所でした。写真を撮っている時参道の左の方から人が下りて来たので、地図では確認できませんが、法華山方面に通じる道が山沿いにあったのかもしれません。

● 正面・南「左 ほつけ山 /是より三十六丁」

  左面  「右 めい志よみち /幷ニ(ならびに)かこ川」

  背面  「文化二乙丑年六月建之」 (1805、きのと・うし)

  

志方町志方小学校前の道標 (2基)

● 有馬街道、県道65号線の志方皿池交差点の少し北になります。立派なお堂の横に立っていますが、ここには二つの道標があります。大きな自然石型の道標とその手前の小さな道標です。この辺りが北条方面と法華山方面の分岐点だったようです。ここは皿池の少し北になり、姫路、加古川、高砂、北条、三木方面などからの道路が交差しています。

●平成23年10月9日追記、「加古川の道標」によれば、ここから右に行くと細工所付近で県道43に合流し北条に、また左に行くと西飯坂を通って法華山一乗寺へ行けます。

● 自然石の道標

  正面・南「すぐ 北條 /左 法花山/ (下部)大正七年 /施主 /平田 /外 /有志」

● 手前の小さな道標(下部は欠損)

  右面  「右 た・・・」(たに じぞう?)

  正面・南「南無阿・・・」

  左面  「左ほ・・・」

  背面  「文化八・・・」(1811)

  

志方町皿池交差点付近の道標

● この道標は、現在の県道65(神戸加古川姫路線)と県道515(小原宝殿停車場線)の皿池交差点の、一本南の細い道を東に入ったところにありました。

● 高さ94センチと比較的大型で、道案内の内容もかなり詳しいものです。2004年の資料では旧家に密着して立っていましたが、現在では旧家は取り壊されたようです。

● 東面「右 法花山」

  南面「嘉永五年 /壬子時(異体字)夏」(1852、みずのえ・ね)

  西面「左 三木○り満」(三木、有馬?)

  北面「右 飛免ちひろミ年 /左 石のほうでんそねのまつ」

 

二子池の道標群 (3基)(平成22年8月17日追加)

● 県道65号線と同43号線の投松(ねじまつ)交差点の500㍍ほど手前を北に進むと右側に二子池があります。この二子池の南側の堤の斜面に三つの道標があります。一つは角柱型で比較的新しいものですが、あとの二つは自然石型で年代は入っていません。夏草が生い茂っていて写真では文字はほとんどわかりません。ここは旧有馬街道の一里塚跡の様ですが、道標は並び替えられた可能性があります。

● 右側の角柱型の道標

  右面  「左 ひめじ」

  正面・北「(観音立像)右 三木ありま」

  左面  「明治十二卯十一月」

● 中央の道標

  右面  「俗名小ため四才」

  正面・北「(地蔵坐像)右 たかさご /左 者ん志う」(繁昌←地名です)

● 左側の道標

  正面・北「これより 右 ありま道 /左 可さい道」

● 下段は、平成28年11月28日、再撮影の写真です。

 

平荘町西山の道標 (平成22年8月19日追加)

● 県道65号線の投松交差点を東に2㌔ほど進んだところで、南に進み住宅街を抜けると、農道になりますが、その農道に差し掛かったところでさらに山の方に脇道を3㍍ほど入ったところにありました。脇道はきれいに草刈りがすんでいましたが、道標は笹に隠れていたので見逃すところでした。おそらくこれが当時の街道風景かと思わせる様子です。

● 元禄年間(1688~1703)の付近の地図を見ると、現在の上荘橋の付近に「川幅六十間舟渡し」、また国道2号線の加古川橋付近に「川幅七拾間舟渡し」と2ヶ所の渡し場が書かれています。左の芝の渡しは、上荘橋の下流側で平荘町養老にありました。また、右への道は現在は平荘湖などで道は消滅していますが、升田水源地の方に行く道があり、大野や加古川に行けたようです。 

● 正面・西「右 をふのかこ川 /左 志者゛王多し」(大野加古川/しば渡し)

  

上荘町井の口上之庄神社鳥居下の道標 (平成22年8月19日追加)

● 上荘橋の少し北の上之庄神社一の鳥居の石垣の下にこの道標はあります。。「御宮」は上之庄神社、田原は加西市田原町を指しているのでしょう。氏子の寄贈による道標と思われます。

● 右面  「左 見土呂」

  正面・東「右 御宮 /田原北条」

  左面  「文久三癸亥歳 /九月吉良日 /氏(子?土中)(1863、みずのと・い)

 

上荘町井の口上之庄神社南の道標 (平成28年11月28日、追加)

● 上之庄神社と一の鳥居のほぼ中間の交差点にこの道標はありました。鳥居下の道標と同時期に氏子によってってられたものと思われます。

● 右面  「東 國包三木/阿里ま 道」

  正面・東「西 田原北条 道」

  背面  「文久三癸亥年/九月吉良日  氏子中」(1863年、みずのと・い)

 

上荘町白沢の道標 (平成22年8月19日追加)

● 有馬街道からは外れ、上之庄神社のかなり北の方になります。日光山常楽寺の前を通り山陽自動車道の下を通り過ぎると、県道375号平荘市場線に出ます。この三叉路、南北に細い道があるので正確には五叉路になります。この交差点のアイランドの中に道標はありました。ここは小野市との境界付近になります。 

● 進む方向と場所名が記されていることになります。小野市の市場町に行けます。「きしの」はすぐ北の小野市来住(きし)町でしょう。

● 右面  「○ いちば駅」(○は東?)

  正面・南「(弘法大師像)南 日光山」

  左面  「西 しかた」

  背面  「北 きしの 四國二十一度参拝 /施主 /當村 稲岡槌松」

  

国包渡し跡 (平成22年8月23日追加)

● 有馬街道は加古川を渡ります。この記念碑は、元禄年間の地図の「川幅六十間舟渡し」と書いてある国包の辺りになります。加古川の左岸、JR加古川線の鉄橋の少し北の河原にあります。加古川左岸沿いの県道18から三木方面に向かう県道20への分岐の辺りでもあります。説明板にもある湯山街道(姫路から有馬、京都への有馬街道)はこの辺りでは県道20ということになります。ここは上荘町国包で、対岸は上荘町井ノ口です。

● (平成22年8月31日追加)

 寛延2年(1749)の印南郡細見図を見つけました。これによれば「芝村」は「国包村」と「里村」の中間辺りにあります。この地図にはありませんが、国包村の下流側には「加古郡船村」もあり、それぞれの名のついた渡しが周辺の道標にはあります。

  

八幡町宗佐の道標①、② (2基)(平成22年9月3日追加)

● 県道20号加古川三田線と同84号線の宗佐交差点の少し南の集落の中に二つ並んでありました。右の道標①はここから少し東にあったそうです。

● 宗佐の交差点を東に進むとすぐに三木市別所町になります。「正本うじ」は別所町の正法寺、「やくし」は、三木市下石野の薬師庵のことと思われます。薬師庵の本尊は薬師如来です。

● 右の道標①

  正面・南、やや西 「右 三木 /左 やくし 道」

  左面(北、やや西)「施主中山 /井上喜平次」

● 左の道標②

  正面・南「右 三木阿り満 /中 正本うじ /左 於のやしろ 道」(三木、有馬、正法寺、小野、社)

  

常観禅寺参道の道標 (平成22年9月3日追加)

● 八幡町宗佐の常観禅寺の参道は、西国三十三霊場を模した石仏が両側に並んでいます。道標は左の石仏の一番奥の寺の門に近い所に置かれていました。付近にあったものが移されたものと思われます。船町墓地の道標も同じ表示でした。

● 右面  「嘉永二酉四月吉日」(1849、(つちのと)とり)

  正面・東「(仏像)右 飛めぢ /左 た可さ古゛」

  左面  「當所世話人」

● 平成23年10月9日追記、「加古川の道標」によれば、元の位置は、ここの南を通る県道20から旧有馬街道に分岐したあたりに船町方面からの道路(圃場整備のため今はない)が合流していた。その合流点に建っていたとのこと。