ー旅先で見た道標ー

 

(平成27年11月8日)

 このページでは、いままでの旧街道とは関係のないプライベートな旅で偶然であった道標を紹介します。

 

名古屋市熱田区伝馬町の道標 (平成30年3月23日)

● 説明板によると、この三差路は東海道と美濃路(佐屋街道と一部重複)の分岐点でした。道標は三叉路の南東角から平成27年にここに移設されています。元々この東北角には宝暦八(1458)年に建立された道標がありましたが、戦災で破損しました。これが最近復元されて東隣の民家の庭先に保管されています。

● 右面  「西 東江戸かいどう

         北なこやきそ  道    」

  正面・北「北 南京いせ七里の渡し

         是ゟ北あつ多御本社貮丁 道」

  左面  「東 北さやつしま

         同みのち 道       」

  背面  「南 寛政二庚戌年       」(1790年、かのえ・いぬ)

 

名古屋市熱田区金山の道標 (平成30年3月23日)

● 金山新橋南の交差点南西角にこの道標はあります。説明板によれば、ここは美濃路と佐屋街道の分岐です。道標は戦災で破損しましたが、その後修理されました。佐屋街道は東海道宮の宿(熱田区)から岩塚宿(中村区)、万場宿(中川区)、神守宿(津島市)を経て佐屋宿(愛西市)に至る街道です。佐屋宿からは水路三里の渡しで桑名宿に着きます。七里の渡しの脇街道として江戸時代の初期に開かれました。

● 右面  「東 右 なごや

           木曽   海道」

  正面・南「南 左 さや海道

           津しま   道」

  左面  「西 右 宮 海

         左 なごや   道」

  背面  「北 文政○辛      (「○」は四?)

         六月  佐屋旅籠中」(1821年、かのと・み)  

 

多可町大屋の道標 (平成29年11月6日)

● 兵庫県多可郡多可町八千代区大屋の鹿子(かのこ)神社の前に自然石型の高さ50㌢ほどの道標がありました。

● 「右 かなくら」は、ここから約3㌔北の加美区的場にある金蔵山金蔵寺(こんぞうじ)を案内しています。同寺は地元では親しみをこめて「かなくらさん」と呼ばれているようです。「左 ひめじ」は、西方の笠形山系の舟坂峠をこえて神崎郡市川町を経て姫路へ向かう道筋になります。

● 鹿子神社の由来は、境内に設置された説明板によれば、創立年代は不詳、少名彦名命が笠形山からの下山の途中に休憩された地に建立されたと伝えられ、その後の延暦年間(782~806年)には征夷大将軍坂上田村麻呂が立ち寄ったとの伝承もある。拝殿、本殿などの建物は江戸時代中期のものと推定されている、とのことです。

● 正面・南「右 加なくら/ 左 ひめじ 道」

  背面  「(下部)文化二乙(丑?)」 (1805年、きのと・うし)

 

大阪市、四天王寺境内の道標  (平成29年10月27日)

● 四天王寺境内にあった道標は、各方面の行き先が詳しく書かれていました。場所名はわかりやすく一字分空けて表示しました。道標は2ヶ所で折損しコンクリート状のもので接着され、木枠で囲われていました。

● 右面  「東右  平野 藤井寺 道明寺 たまで

           をぐろ 壷井 通法寺 古ん多” 上太子」

  正面・西「(坐像)南右 庚申堂 住吉 堺 あまの 高野山

           北左 生玉 高津 天満天神 八軒家 京 道」

      (下部に名前あるも判読不能)「勝間村・・・/同・・・/木津村・・・」

  左面  「西右  道頓堀 木津川 

           阿弥陀池 安治川  先祖代々三界萬霊」

  背面  「天保二辛卯年八月建之」

 

若桜宿の道標 (平成29年8月20日)

● 鳥取県八頭郡若桜町の不動院岩屋堂は以前TV番組で紹介されたので、一度行ってみたいと思っていたところです。自然の岩窟(間口7㍍、奥行10㍍、高さ13㍍、)の中に建てられた寺院(正面、側面とも3間)は、やはり映像以上の迫力ある威容でした。室町時代初期(1336~92年)の建物で昭和30年に2年を費やし解体修理が実施されています。国の重要指定文化財です。

● 若桜街道若桜宿の自然石型の道標は、若桜町役場近くの新町公民館前にありました。細い路地なので、地図で正確に表示できません。江戸時代のお伊勢参りの盛んなころの名残のようです。現在では「右は播磨道」は納得できても、「左は伊勢道」とここで案内されても戸惑ってしまいます。

● 正面・北「  みぎハは里まみち

       從是

         ひだ里ハいせみち」

 

京都市上京区役所前の道標 (平成28年4月6日)

● 「聚楽第址」の碑から「足利将軍室町第址」の碑へ向かう途中、上京区役所の前にあるこの道標を見つけました。元は今出川通と室町通の北東角にあったそうですが、昭和30年代に区役所駐車場に移設され、平成27年1月に区役所の新築に伴い表通りの今出川通に再度移設されています。4面に銘があり、内3面に方角と道案内がある。字体もきれいですっきりとした道標です。

● 今出川通と室町通の北東角地には、現在、大正4年の「足利将軍室町第址」の碑が建っていますが、これと並んで建っていたのでしょうか? このことは確認できません。

 また、「京都いしぶみデータベース」によると、この碑の下部1/5ほどは紛失していたので戦後新たに作成されたとのことです。その際「教育會」を「教育委員会」と、また寄付者の「田中富子」を「田中」としたようです。

● 上京区役所前の道標 

  右面  「東 右 上加も」

  正面・南「南 左 天満宮」(北野天満宮

  左面  「西 すぐ 東山」(まっすぐ行くと 東山)

  背面  「  安政五年弥生」(1858年3月

 

● 室町第址の碑 

  正面・南「従是東北 足利将軍室町第址」

  左面  「寄附者 今出川千本/田中」

  背面  「大正四年十一月健之 京都市教育委員会」

 

小豆島の「石の絵手紙」 (平成28年1月4日)

● 香川県の小豆島県道26号線の一部に「石の絵手紙ロード」があります。大部港から土庄港にかけて39基の「石の絵手紙」が設置されていますが、これはその内の1基で「灘のけんか祭り」と題する作品で土庄港に設置されています。小豆島石(良質な花崗岩)に絵を貼り特殊なコーティングを施したものです。


長浜市札の辻の道標 (平成27年10月8日)

● 「夢をまことに」(山本兼一著)を読んで鉄炮鍛治の村、国友村を訪れてみたいと思いJR長浜駅で降り、付近を散策した時に出会った道標です。

● 北陸道と大手門通りの交差点の北西角にこの道標が建っています。道標の案内によれば、大手門通りは西国三十三所の三十三番満願霊場である谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)へ通じる巡礼道でもあったようです。因みに長浜市にはほかにも第30番霊場の竹生島宝厳寺があります。

● 東面「右 北國み知/ 左 京いせミち」

  南面「右 多に久み道」

  西面「寛政八丙辰五月吉日」(1896、ひのえ・たつ)

  北面「左 多に久み道」


日永追分の道標 (平成26年8月1日)

● 孫と鈴鹿サーキットへ向かう途中に出会った四日市市追分3丁目の道標です。

● ここは東海道と伊勢街道の追分で、道路が拡張された際に鳥居や常夜燈、道標、手水所などが保存され、三重県の指定記念物(史跡)となっています。同地の説明板によれば、鳥居は桑名の一の鳥居に次ぐ二の鳥居になり、伊勢神宮の遷宮に合わせ建て替えられ、現在の鳥居は昭和50年に建てられました。最初の鳥居は安永三(1774)年に久居出身の渡辺六兵衛という人が江戸から京都へ行くときに、ここから伊勢神宮を遥拝するようにと思って建てられたものです。

● 最初の道標は、明暦三(1657)年に建てられていますが、これは現在の道標が建てられた際に日永神社に移設されています。現在の道標の銘文は下記の通りです。(「北伊勢の道標」HPより)

 文政十三(=天保元年、1830)年の記録によれば、なんと427万人がお伊勢さんに参詣したそうです。このころの日本の人口は、3228万人ということですから7人に一人が伊勢参りに出かけたことになります。

● 東面「嘉永二年己酉春二月/桑名魚町尾張屋文助建之」(1849年、つちのと・とり)

  南面「すぐ 江戸道」

  西面「右 京 大坂道」

  北面「左 いせ参宮道」