―巡礼道(2)夢前町、香寺町ー

(平成27年2月19日)

 夢前川の中流に位置し、塩田温泉などのある夢前(ゆめさき)町は、平成18年に姫路市に統合されました。ここは西国第27番霊場書写山円教寺から宮津市の第28番霊場成相寺への道筋にあたるため、巡礼者を案内する多くの道標が残っていたので、これらを紹介します。順番は南の円教寺から夢前川沿いに北行し、福崎町や市川町へ向かうルートになります。参考資料は、夢前町教育委員会が平成10年度に作成した「夢前町の道標と力石」です。

 

(平成31年1月30日、追加)

 下部に「香寺町の道標」の項を追加し、タイトルを「巡礼道(2)夢前町、香寺町」と変更しました。

  

夢前町置本の道標

● 書写山の麓、横関橋の東詰から県道67号姫路神河線を北に向かい、夢前川を渡って右岸に出ます。その先の三差路にこの道標がありました。道標の右に転倒しているのは、台石かもしれません。道標の左の道は行き止まりになります。その道路の西側は姫路市書写です。道標の旧住所は「夢前町置本字クルス」となっています。右は成相寺のある「たんご」を案内しています。

 

● 銘文(正面・南)

 正面「(仏像坐像)右 たんご(道)」(道)は埋没

 左面「施主 中村市左衛門 /りう」

 高さ100.0㌢、 幅23.0㌢、 奥行16.0㌢

 

夢前町又坂の道標

● さらに県道67号線を北に向かうと、置塩小学校を過ぎた先で県道80号宍粟香寺線との三差路になります。両方の道路に挟まれた角の看板の陰に高さ211㌢の細長い道標が建っていますが、これは、ここから北西の方角にある弥勒寺を案内する道標になっています。

 

● 銘文(正面・南)

 右面「崋山上皇御臨幸之遺跡地」

 正面「勅願所通宝山彌勒寺道 兵庫縣」

 左面「性空上人棲隠終焉之霊場 従是二十丁」

 高さ211.0㌢、 幅25.5㌢、 奥行31.0㌢

 

夢前町又坂、題目塔台座の道標

● 又坂の道標の左側、県道80号の西側擁壁の間に高さ204㌢(基礎と台座を含む)の題目塔(「南無妙法蓮華経日蓮大菩薩」)があり、その台座に道案内が刻まれています。「右順礼道」は、県道67号の方を示していると思われます。また、題目塔本体の右面には「寛政四壬子四月二十八日」(1792)の年号が入っています。

 

● 台座銘文(正面・東)

 正面「法界 /萬霊」

 左面「右 /順礼 /道」

● 大きさ

 塔身 高さ153.0㌢、 幅40.0㌢、 奥行39.0㌢

 台座 高さ30.0㌢、 幅66.0㌢、 奥行60.0㌢

 基礎 高さ21.0㌢、 幅87.0㌢、 奥行85.0㌢

 

夢前町寺、弥勒寺参道の常夜燈

● 夢前町の道標資料(平成10年作成)によれば、又坂から県道80号を北西に向かった先の小坪自治会館前に、「天保甲午年」(1834)の常夜燈があり、その基礎部に弥勒寺の案内がある、とのことで行ってみました。しかしそこにあったのは真新しい常夜燈であり、道案内はありませんでした。平成十三年十月再建と書かれていました。残念ながら道案内の銘文は再現されなかったようです。

 

夢前町古知之庄、古知小学校南門前の道標

● 又坂の三差路に戻り県道67号を北に向かいます。糸田橋の手前で県道から別れて北に進むと、古知小学校の南門の前に、高さ76㌢のこの道標がありました。ここはT字様の三差路になっており、南からの巡礼者に右に向かう道が巡礼道であることを示しています。

 

● 銘文(正面・南)(1815年)

 右面「文化十二亥八月」 

 正面「(仏像坐像)右 なれあい /左 むら道(?)」

 高さ76.0㌢、 幅24.0㌢、 奥行16.0㌢

 

夢前町古知之庄、置塩神社前の道標

● 古知小学校南門前の道標を右に延長すると、この道標の位置になります。この間で夢前川を渡っていたのかもしれません。現在では少し北に迂回して塩田橋を渡ると、ここ置塩神社に来ることができます。近くの案内板によれば、置塩神社の創建は昭和29年となっていたので、道標の原位置も疑問です。神社の前の広場にあるこの道標は、高さ160㌢で光背型になっています。今まで多くの道標を見てきましたが、元禄期の道標は初めてです。かなり風化しており文字は判読が難しい状態です。

 

● 銘文(正面・西)(1693年、みずのと・とり)

 右面「奉・・・西國三十三・・・同行」 

 正面「従是丹後成合廿三里 /(仏像立像) /元禄六癸酉四月一日」

 左面「施主・・・」

 高さ160.0㌢、 幅48.0㌢、 奥行35.0㌢

 

夢前町前之庄の道標(1)

● 県道67号線を夢前川の左岸沿いに北上します。夢乃井という大きなホテルを過ぎたあたりで大きなS字カーブになりますが、二つ目のカーブの途中の倉庫のような小さな建物の前にこの道標がありました。高さは51㌢と小さく、ブロックの仕切りに密着しているので見逃しそうです。この場所の旧住所は、前之庄字前垣内となっています。昭和36年の県道の拡幅工事の際、30㍍東からここに移設されたと夢前町資料にあります。元の位置は少し南の三差路を指していると思われます。三差路を北東に進むと「前之庄の道標(2)」の方に道がつながっています。

 

● 銘文(正面・西)(1811年、かのと・ひつじ)

 右面「文化八年 /辛未七月」 

 正面「右 本うぜやう /左 なれあい 道」(北条、成相)

 左面「願主念佛 /講中」

 高さ51.0㌢、 幅30.0㌢、 奥行29.0㌢

 

夢前町前之庄の道標(2)

● この道標は、東西を結ぶ県道23号三木宍粟線と中国自動車道の南の側道のような場所にあります。旧住所は、前之庄字東谷でした。周辺は現在中国自動車道の夢前スマートICの新設工事中なので、道標も新しい祠に納められていました。道標の高さは81㌢です。元の位置は少し南側で東向きに建っていたようです。道標の示す「左 書写」の方向を確認すると「前之庄の道標(1)」の元の場所につながっています。

 

● 銘文(正面・北)

 正面「(仏像坐像)右 しそう /左 しよしや 道」(宍粟、書写)

 高さ80.8㌢、 幅35.0㌢、 奥行20.0㌢

 

夢前町前之庄の道標(3)

● 県道67号に戻り北に進みます。夢前高校を過ぎたところで右の旧道に入ります。県道23号の前之庄交差点を横断ししばらく進むと、松ノ木北バス停のまえに大きな自然石型の道標がありました。横の説明によれば、右の方、東に続く細い道が「西国古道」となっていました。この先は県道407号前之庄市川線となり、福崎町や市川町の方に出て、但馬や丹後方面に行くことができます。

 

● 銘文(正面・南)

 正面「右 たじま /たんご 道 /奈連あいへ二十四里」(なれあい)

 高さ150.0㌢、 幅60.0㌢、 奥行50.0㌢

 

夢前町前之庄の道標(4)

● ここは県道407号を東に進んだ先で、周辺は大きな養鶏場になっており、これから先は峠道のような細い山道になっています。この山道を通れば福崎町の方に行くことができます。その行き止まりのようなところに祠に入った道標がありました。「左 成相」の表記から推測すると、道標は北向きまたは西向きに立っていたものと思われます。旧町名は前之庄字東山であり、前之庄の東の端であったことがうかがわれます。

 

● 銘文(正面・南)(1826年、ひのえ・いぬ)

 正面「      文政九戌年三月十日

   (仏像坐像)ひだり なれあい 

          施主三枝草村中   」 

 高さ86.0㌢、 幅33.0㌢、 奥行28.0㌢

 

夢前町神種の道標、2基

● 夢前町の資料にはここ県道23号三木宍粟線沿いに2基の道標の所在が記載されていました。何度探しても見つかりませんでした。近くの側溝の枯葉をはらってみるとなんと転倒した道標が姿を現しました。この道標は、元は道路の南側の三差路に西向きに建っていたものと思われます。右は、現在の県道23号線のルートを通り北条方面に向かいます。左は、前之庄から県道407号線で市川町を通り、但馬道を粟賀方面に行く道筋になります。

● 道標の転倒場所から上の方を見るとわずかに題目塔の上部らしいものが見えますが、侵入口が見つかりません。雑木林の中でほとんど近寄れず、写真も撮れませんでしたので、資料の表記のみ記載しておきます。

 

● 転倒していた道標銘文

 正面「(右)北條 京 大坂 /(左)粟賀 生野 道」(「右、左」は欠損)

 高さ60.0㌢、 幅21.0㌢、 奥行13.0㌢

● 題目塔(現物未確認)銘文(正面・南)(1757年、ひのと・うし)

 右面「右 本うぜうみち /左 あハがみち」(北条、粟賀)

 正面「南無妙法蓮華経五十ケ寺供養」

 左面「寶暦七丁丑 /十月十三日(下部)飾西郡神種村本願主 /道入建立」 

 背面「萬人講施人志釖霊難死」

 

夢前町莇野四辻の道標 (平成29年5月25日、追加)

● この道標のある四辻は、南北の通りが県道411号山之内莇野線、東西の通りが京(→亀岡→篠山→社→福崎→山崎→津山→)から出雲への旧出雲街道と思われます。その交差点の北東角に建っています。道標の正面は南西を向いていますが、このままでは「左 京」の方向が疑問です。道路の反対側に北向きにすると案内の方向が合致すると思うのですが、移設されたものか確認はできませんでした。道標のすぐ後ろは中国自動車道になっています。

 

● 銘文(正面・南西)

 正面「(仏像)右 ひめじ /左 京 道」

 高さ89㌢、 幅36㌢、 奥行36㌢

 

夢前町宮置の道標(1)

● 再び県道67号線です。かなり南に戻り宮置の交差点から県道80号宍粟香寺線を東に向かいます。しばらく進むと性海寺への参道が左に分岐しています。この参道の途中に2基の道標がありました。

 

● 銘文(正面・南)

 右面「徳道上人開基播万西國第二番霊場」(「播」は「石」編に見える)

 正面「町村冨田山性海寺道」

 左面「昭和八年五月造立有賀倉次」

 高さ190.0㌢、 幅27.0㌢、 奥行22.0㌢

 

夢前町宮置の道標(2)

● 参道は、上の道標のところでヘヤピンカーブになっており、この道標は、そのカーブを曲がったところに南向きに立っています。元は町村の旧道にあったものが道路の拡幅工事のため、昭和40年ころここに移設されたということなので、もう少し西の方にあったことになります。

 

● 銘文(正面・南)(1811年、かのと・ひつじ)

 右面「文化八辛未年七月」 

 正面「これより /とみたさん道」

 左面「施主 ・・・・」(判読不能)

 高さ76.0㌢、 幅21.0㌢、 奥行21.0㌢

  

―香寺町の道標ー

 

(平成31年1月30日、追加)

● 姫路市香寺町は、昭和29年3月に香呂村と中寺村が合併し神崎郡香寺町となり、平成18年3月に姫路市に編入合併されています。

● 町内の主要街道は市川西岸の生野街道ですが、ここには道標はほとんど残っていないようです。その他の道標は町内全般に分布しているので、街道筋でまとめることはできません。南方面から北方面へと掲載します。

● 「香寺町の石造物」(香寺町史編集室、平成21年3月発行)を参照しました。

 

香寺町須加院入口の道標 (平成31年2月1日、追加)

● 国道312号線の須加院交差点を西に向かい、1本目の道(旧生野街道)を右に折れたところの電柱の根元にこの小さな道標がありました。以前は道路の西側にあったのですが、道路改修時に現在の東側に移設されています。

 

● 銘文(正面・南)

 正面「(地蔵坐像)北 たしま /南 ひめし」

 左面「西 とひた山 /すかい」 (富田山性海寺/須加院)

 高さ45㌢、 幅16㌢、 奥行11㌢

 

香寺町犬飼の新しい道標 (平成31年2月8日、追加)

● この南北の道路は旧生野街道です。四辻の元々の道標は道路工事で埋もれたらしく、平成十九年に再建されています。「左たの」は、西方向の香寺町田野です。

 

● 銘文(正面・南)(1750年、かのえ・うま)

 正面「右 いくの /左 たの」

 左面「生野街道 /犬飼村」

 背面「古碑 寛延三年午七月建之 /平成十九年十月再建」

 高さ88㌢、 幅27㌢、 奥行24㌢

 

香寺町須加院、暮坂峠麓の道標 (平成31年2月5日、追加)

● 須加院入口の道標から西に向かうと、暮坂峠の麓で県道80号宍粟香寺線と合流します。その交差点の南西角に道標はあります。道路の拡幅前は北西角に設置されていました。

● 正面の「たにやま(谷山)」は八徳山八葉寺の方角になります。また「まちむら(町村」は暮坂峠を越えた性海寺の周辺です。「香寺町の石造物」では北側の「香呂青年團」が正面となっていましたが、同様の行重や相坂の道標では「香呂青年團」は右面でしたので、ここでは東側を正面としました。正面の文字は不鮮明です。

 

● 銘文(正面・東)

 右面「香呂青年團」

 正面「右 たにやま /左 まちむら」

 背面「西 しよしや山 /北 はちとく山」

 高さ59㌢、 幅32㌢、 奥行17㌢ 

 

香寺町須加院、城ヶ谷池脇の道標 (平成31年2月5日、追加)

● さらに西へ向かいます。城ヶ谷池脇にこの道標がありましたが、ネットフェンスの中にあり近寄ることはできません。

● この道標は、県道80号線がまだ山道であったころ一本松下のお地蔵として祀られていました。その後、数度の道路改修のため放置されていましたが、池の改修時にここに移設されました。「とみた山」は夢前町の富田山性海寺、その周辺が町村です。正面の上部の仏像らしい部分は劣化のため確認できませんでした。

 

● 銘文(正面・北) (1850年、かのえ・いぬ)

 右面「嘉永三戌二月建立」 

 正面「(仏像?)右 やまみち /左 とみた山 町村」

 高さ74㌢、 幅30㌢、 奥行24㌢

 

香寺町須加院、夢前町宮置、郡境の碑

● 香寺町須加院から西に進みます。暮坂峠頂上の夢前町との境界にこの郡境の碑が建っていました。現在ではどちらも姫路市ですが、香呂村と置塩村は明治29年4月に施行された郡制では、それぞれ神崎郡と飾磨郡となっていますので、その頃の境界石と思われます。

 

● 銘文(正面・北)

 正面「飾磨 /神﨑 郡境」

 高さ71.5㌢、 幅18㌢、奥行17.5㌢

 

香寺町香呂、西向き地蔵の道標 (平成31年2月5日、追加)

● 香呂の集落の中に真新しい説明板と並んで建っていました。西向き地蔵となっていますが、移設もしくは方向転換でもしたのでしょうか。この道標は南向きです。

● 説明板を要約します。長石(おさいし)凝灰岩を使用した江戸後期の道標です。奈良時代の的部里(いゆわべ)からその局地的遺跡である岩部(いわべ)への転訛を実証する貴重な資料でもある。

● 「いゆわべ」はここから東の方角の香寺町岩部、「志んまち」は北方向の福崎町新町をそれぞれ案内しています。

 

● 銘文(正面・南)

 正面「(地蔵坐像)右 いゆ王べ /左 志んまち」

 高さ48㌢、 幅18㌢、 奥行11㌢

 

香寺町香呂、薬師堂境内の道標 (平成31年2月1日、追加)

● 薬師堂南の分れ道に放置されていたので、ここに移設されました。右向きの大きな指差し手形がよく目立つ道標です。

 

● 銘文(正面・南)

 正面「(右指差し手形)右 ひめち /左 むら」

 高さ45㌢、 幅20㌢、 奥行11㌢

 

香寺町行重の道標 (平成31年2月1日、追加)

● 平成21年編纂の「香寺町の石造物」では、県道409号久畑香呂線沿いに設置とあります。現在の場所は県道から少し西に入っているので、最近移設もしくは県道が新たに付け替えられたのかもしれません。「香呂青年團」の標記から昭和初期のものと思われます。

● 「つねや」は県道409号を北に進んだ香寺町恒屋、「前の庄」は夢前町前之庄を示しています。

 

● 銘文(正面・南)

 右面「香呂青年團」

 正面「右 つねや前の庄 /左 山道」

 高さ64㌢、 幅23㌢、 奥行17㌢ 

 

香寺町相坂塩田、庵山観音前の道標 (平成31年2月1日、追加)

● 庵山観音前の階段下の県道80号宍粟香寺線沿いにこの道標はあります。「香寺町の石造物」によれば、地元の方が個人で観音を祀り道標も建てたということです。

 

● 銘文(正面・南)

 右面「すぐ 八徳山 廿(丁)」 (( )内は埋没)

 正面「右 香呂駅 十(丁)」

 左面「(左指差し手形)庵山観音」

 背面「左 溝口 廿(丁)」

 高さ128㌢、 幅22.5㌢、 奥行23.5㌢

 

香寺町相坂、若都王子神社南の2基の道標 (平成31年2月1日、追加)

● 若都王子神社南の県道80号宍粟香寺線沿いに、小さな祠を囲むように2基の道標が建っていました。祠の右の「香呂青年團」の道標は、行重の道標と大きさも字体もよく似ているので、やはり昭和初期のものと思われます。少し後方に傾いています。

 

● 右の道標の銘文(正面・南)

 右面「香呂青年團」

 正面「右 八徳 /直 すかい谷山」

 高さ58㌢、 幅23㌢、 奥行16㌢

 

● 左の道標の銘文(正面・南)

 正面「右 /八徳山」

 高さ79㌢、 幅50㌢、 奥行11㌢   

 

香寺町相坂、八徳山登山口の道標 (平成31年2月1日、追加)

● 県道80号線から八徳山八葉寺への登山口に入り、若都王子神社を過ぎたところにかなり大きなこの道標がありました。

● 以前は犬飼の伊勢山神明社南の岐路にあったのですが、昭和44年頃にここに移設されました。事故で中央部を折損し修復されてます。「みほとけや」の下部3文字は「里雪」と花押のようにみえます。

 

● 銘文(正面・南) (1842年 みずのえ・とら)

 右面「干時 天保十三壬寅年 /三月建之」

 正面「左 八徳山道」

 左面「みほとけや 〇〇〇 /花の浄土へ /むかふ路」

 高さ135㌢、 幅35㌢、 奥行35㌢ (除く台石)

 

香寺町相坂、八徳山の一丁石 (平成31年2月1日、追加)

● 道標の50㍍ほど先の斜面にこの舟形光背型の一丁石がありました。仏像の両側の光背部に文字が刻まれています。

 

● 銘文(正面・東) (1794年、きのえ・とら)

 正面「一丁 相坂念佛(講)中

    (仏像)

    寛政六寅十一月     」 

 高さ55㌢、 幅23㌢

 

二丁石 (平成31年2月5日、追加)

● さらに参道を上ると二体の石造物があります。向かって左が二丁石です。光背部の右上に「二丁」のみ確認できました。

 

● 銘文(正面・南)

 正面「二丁」  

 

その他の丁石 (平成31年2月8日、追加)

● さらに参道を上ると三丁石、地蔵堂の上に四丁石、谷川方面への分岐近くに五丁石、八葉寺入口に六丁石、境内に七丁石をそれぞれ見ることができました。銘文はいずれも右側光背部に「〇丁」とありました。一丁石のような銘文はありませんでした。

(地図は入口の六丁石の位置を示す)

 

香寺町相坂、八徳山八葉寺 (平成31年2月8日、追加)

● 急坂の参道を上り切ると八葉寺です。

● 天台宗八徳山八葉寺は、天平八年行基によって開基したと伝えられています。その後平安中期に慶滋保胤が再興しています。本尊は十一面観音で、播磨西国三十三ヶ所の三番霊場になっています。八葉寺の本堂は伊丹市の昆陽寺にある行基堂の建物とよく似た印象を受けました。

 

香寺町恒屋の道標 (平成31年1月30日、追加)

● この道標のある南北の道は、南方向の中寺から北の久畑へ向かう旧道でした。正面の「がや」は夢前町の鹿谷で賀屋とも書くそうです。

 

● 銘文(正面・東)

 正面「右がや」

 左面「左 /ひめじ」 (方向は「右」ではないか? 文字も不鮮明)

 高さ42㌢、 幅29㌢、 奥行29㌢ (幅と奥行きは下部のサイズ)

 

香寺町中村の道標 (平成31年2月8日、追加)

● 県道409号久畑香呂線沿いにある香寺荘の北の筋を西に入ると塩田温泉方面へ続く山道になります。少し進んだ三差路の手前にこの道標はありますが、かなり損傷が激しいようです。この道標の先を左に進み、酒猿(すざる)峠を越えると塩田温泉になります。

● このままでは道標の示す方向が合わないので、三差路あたりに東向きにあったのではないかと考えられます。

 

● 銘文(正面・北)

 右面「右 山みち」

 正面「左 しをた」

 高さ73㌢、 幅20㌢、 奥行17㌢