―更新情報(2012)―

2012年11月30日

 「枚方大阪周辺の散策」に道標など一部を追加しました。タイトルの次に「平成24年11月30日、追加」と注を入れています。

2012年11月24日

 京阪、寝屋川市駅で下り、鳥飼仁和寺大橋を出発点に大阪高麗橋まで歩きました。これで東海道57次は完了です。この間の様子を「枚方大阪周辺の散策」の後半に「―守口から大阪まで―」として掲載しました。また、高麗橋からは、緒方洪庵の適塾や御堂筋の銀杏などを見ながら阪神梅田から姫路へ帰りました。

2012年11月12日

 東海道五十七次の続きということで京阪電車橋本駅(京都府八幡市)から寝屋川市駅(大阪府寝屋川市)まで歩きました。大津市の髭茶屋追分から八幡市橋本まではすでに「京都伏見周辺の散策」に掲載しているので、新たに「枚方大阪周辺の散策」のページを設けました。この道筋は、淀川の堤防上と京阪電車の線路脇のルートが目立ちました。これは、秀吉の文禄堤や明治時代の国道ルートの選択とも関係があるようです。  

2012年10月8日

 京阪電車京津線「追分駅」から、東海道57次のコースをたどり、京阪電車「丹波橋」までの道標を探しましたので、「京都伏見周辺の散策」の末尾に「追分から墨染まで」としてまとめました。京都の街並みには道標が似合いそうですが、あまり道標は見つけられませんでした。なぜか造園業者と思われる家の庭に、石燈籠などと一緒にまとめて置かれたりしてました。

 また、その帰途、大阪市淀屋橋から梅田への途中の梅田新道交差点で新しい「大阪市道路元標」を見つけたので、「中国街道の道標」の末尾に追加しました。 

2012年9月24日

 今回は、京阪電車橋本駅から京都市内の鳥羽、小枝橋までを歩きました(うち淀→中書島、丹波橋→竹田は電車)。先日の残りと、以前から関心を持っていた八幡市の飛行神社にも行ってみました。飛行神社は二宮忠八翁が大正4年に航空関係の殉難者を供養するため創設した神社です。二宮忠八はライト兄弟が動力飛行に成功する約20年も前にゴムでプロペラを回す形式の模型飛行機を独力で作って飛ばしています。また「飛行器」の名付け親でもあります。

 八幡市橋本は、対岸の山崎からの渡しもあり古い街と聞いていたので、道標も多く残っているのではないかと期待していました。ほぼ期待通りに道標を見つけることができましたので「京都伏見周辺の散策」の末尾に「橋本から淀へ」としてまとめました。そのほか、伏見、鳥羽辺りの史蹟については「京都伏見周辺の散策」に日付けを入れて追加しました。

2012年9月13日

 萩藩の「中国行程記」によると西国街道は、京都の手前で少し変わったコースをたどっています。今日はそのコースを歩いてみました。しかし道標はほとんど見つけることができませんでしたので、新たなページは「京都伏見周辺の散策」ということにしました。乙訓郡大山崎町から桂川を渡り、伏見区淀町を経て、宇治川沿いに伏見ヘ入り、北上して鳥羽から東海道の終点となる三条大橋までを予定してましたが、寄り道が多すぎて体力消耗のため、藤森駅から三条駅は京阪電車を利用しました。

 しかし、さすがに歴史の町京都でした。この周辺は神功皇后から幕末までいろんな歴史上の史蹟は、1回では廻りきれません。特に幕末の戊辰戦争ではこの辺りが激戦の地となっており、それらに関する史蹟が多く目につきました。 

 後日判ったことですが、道標の資料は「京都市歴史資料館」のHPに詳しく掲載されていました。また、当該地の道標の多くは学校や寺に移設されていました。 

2012年8月25日

 井原鉄道西の終点、広島県福山市の「神辺(かんなべ)駅」から「子守唄の里高屋駅」までと前回行けなかった「矢掛町」を訪れました。前回失敗したので熱冷シートなど若干の暑さ対策はしました。神辺、高屋の間(記録は高屋から神辺へ)は道標が見つかりませんでしたが、常夜燈や一里塚跡など旧街道の史跡が多くありました、また広島県に入ったので、新たに「山陽道(西4)の道標」のページを設け掲載しました。矢掛町内は「山陽道(西3)の道標」に追加しました。

 今回利用した井原鉄道はJR伯備線総社駅と福塩線神辺駅を結ぶ42㌔の路線です。沿線の案内は下の写真の通りです。

2012年7月26日

 姫路から電車を乗り継いで3時間、岡山県の西端、井原鉄道「子守唄の里高屋」駅に到着しました。ここから「小田」駅までの山陽道を歩きましたので、この間の道標などを「山陽道(西3)の道標」末尾に追加しました。ここから西は広島県福山市(備後国)になります。歩いたのは西から東ですが、説明は今までの流れで東から西となります。

 本日は矢掛駅までを予定していましたが、あまりの暑さに一駅(約6㌔)手前でギブアップでした。

2012年7月23日

 6月26日の疑問、江戸時代の山陽道のルートはどのように決まったか?

もちろん簡単に解答を得ることはできませんでしたが、古代山陽道を歩いてわかったことは、明石~魚住、加古川~姫路はほぼ同じルートであった。魚住と加古川の間はそれほど距離は離れてはいないが、ルートは異なる。姫路から上郡町までは江戸時代の街道はかなり海側に変更されていました。

2012年7月16日

 播磨国山陽道の西の端、野磨駅家まで来ました。関連の写真は「古代山陽道の痕跡」の末尾に追加しました。このシリーズはこれで終了です。 野磨駅家、落地(おろち)遺跡は、JR上郡駅とJR三石駅の間になるので、三石駅から上郡駅まで歩きました。説明は今までの続きで上郡駅から西に向かっています。

  三石側の一里塚跡や前回見落とした道標を、「山陽道(西1)の道標」の冒頭に追加しました。また「山陽道の道標(1)」の船坂峠の境界石などの写真も入れ替えました。 約2年ぶりの船坂峠の境界石の周りは、急な坂は階段になり、鎖の手すりも設置されていましたので、ゆっくり写真を撮ることができました。

2012年7月9日

 たつの市JR本龍野駅から、同市揖西町小犬丸の布施駅家跡を経て、JR上郡駅まで歩いてみました。この間の古代山陽道は、東の太市(邑智)駅家から西へほぼ直線が続いています。しかし実際に歩いてみると、途中には二つの峠があり、現在ではかなり曲がりくねった山道でした。いずれも歩道がなく、車が通る度に立ち止まらなければならない状態でした。歩道がほしいですね! しかし需要と供給の問題でもあり仕方ないかな? 写真は相生市と上郡町の境にある椿峠です。

この間の写真は「古代山陽道の痕跡」に追加しました。

2012年7月8日

 姫路市内の古代山陽道は、草上駅家が辻井廃寺か今宿丁田遺跡か、どちらに想定するかで若干コースが変わってきます。現在は今宿丁田遺跡が有力視されています。佐土駅家から今宿丁田遺跡を結ぶとその延長線は、青山の桜峠をこえて太市(邑智)駅家になります。

 本日は、今宿丁田遺跡の場所が特定できませんでしたので、礎石の残っている辻井廃寺跡と大市駅家跡を訪ねてみました。 それぞれの写真は「古代山陽道の痕跡」に追加しました。

2012年7月2日

 古代山陽道の続きです。加古川市から姫路市まで歩きました。この間は江戸時代の山陽道とほぼ重なっていると思われます。痕跡としては佐突駅家跡や播磨国分寺がありましたので、「古代山陽道の痕跡」に追加しました。

2012年6月26日

 江戸時代の山陽道のルートはどのようにして決められたのだろうか? そんな疑問から「古代山陽道」に興味が湧きました。古代山陽道の明確なルートが判明しているわけではありませんが、駅路跡や駅家(うまや)跡など、その痕跡は各所にみられるようです。ということで播磨國の痕跡を訪ねることにしました。本日は明石から加古川までを歩いてみましたので、「古代山陽道の痕跡」のページを新たに作成し、掲載しました。  

2012年6月10日

 本日は、総社市清音から高梁川を渡り、倉敷市を抜け、小田郡矢掛町の矢掛宿の入口までの山陽道を廻りました。少し手抜きをして倉敷観光を兼ね、車で走りました。交通量の少ない地区なので良かったのですが、キョロキョロ運転は疲れます。反省!

「山陽道(西3)の道標」に掲載しました。

2012年5月31日

 久しぶりに新たな街道を歩きました。どこまで行けるかわかりませんが、山陽道を西に向かいます。本日はJR吉備線の吉備津駅から伯備線の清音駅までです。この辺りの山陽道は岡山市、倉敷市、総社市にまたがっていましたが、案内板など良く整備されていました。

 本日の道標は、新たに「山陽道(西3)の道標」のページを設け掲載しました。

2012年5月20日

 加古川市志方町横大路のルピナス畑に行きました。その帰り志方町成井の高御位(たかみくら)山の登山口に古い道標を見つけたので、街道から少し離れますが、「北条街道の道標」の末尾に追加掲載しました。

2012年4月15日

 本日ドライブの途中にたつの市の新宮道の駅に立ち寄ってみました。ここの入り口のショウウィンドウの後ろに市指定文化財の道標があったのですが、見当たりませんでした。帰り際に駐車場の一角に道標を見つけたので近寄って見ると、ここに移設されていました。正面が北向きに設置されているので元の場所に設置されていたのと同じ方向だと思います。道標は室内より外が似合います。写真は「因幡街道の道標」の末尾の「新宮道の駅の道標」に追加しました。

 

2012年3月13日

 因幡街道に向かい、JR姫新線東觜崎駅から国道179の新宮道の駅までを往復しました。正確な旧街道の道筋がわからないのでそれらしい道を辿ってみました。29,000歩でした。新宮町内で見つけた道標は4基でしたので「因幡街道の道標」の末尾に追加しました。

 途中、県道724の龍野北高校付近で珍しいオブジェを見つけました。タイトルは「宇宙への道標」とありました。私の道標探しも、この道標を最後にこの辺りで一区切りにしたいと思います。

 今日までに掲載した石造品の数は、442基でした。 

2012年2月28日

 室津道の起点「室津港」に行ってきましたので、写真を「室津道の道標」の冒頭に掲載しました。

 御津町の道標から西は海岸沿いの七曲りといわれる2車線の道路で道標もないようなので、車で向かいました。漁港は牡蠣の水揚げの最盛期でした。

 町の中の道路は狭く、車は通れません。国道沿いの駐車場からは徒歩での散策でした。江戸時代宿場での本陣は多くても2軒ですが、ここ室津には6軒もあったそうです。清十郎の生家跡もありました。

2012年2月22日

 本日の天候は、曇りのち小雨。国道2号線豆崎交差点(高砂市)をスタートして、姫路市別所、御着、花田、高木、白国そしてJR姫路駅まで歩き、道標を3基見つけました。27,000歩でした。「別所町の鹿島道」の道標は「山陽道の道標(1)」に、「飾東町丹波道の道標」と「白国2丁目増位池西の道標」を「巡礼道、書写道の道標」にそれぞれ記載しました。途中、旧山陽道を歩きましたが、数か所の旧家がモダンな家に建て替えられていました。工事中の家もあり、少しずつ風景が変わっていくようです。

2012年2月18日

 網干地区の室津道を訪ねてみました。揖保川の八十の渡し~JR英賀保駅まで18,900歩でした。古い道標を新たに見つけることはできませんでしたが、各所に新しい「室津道」の道標が設置されていました。古い街並みあり、田の中のあぜ道あり、蓮池あり、新興住宅街ありと多彩な道でした。新たな写真とともに「室津道の道標」を再整備しました。

2012年2月16日

 姫路市佐良和(さろお)の巡礼道で新たに1基見つけたので、「巡礼道、書写道の道標」に掲載しました。古い街並みのはずれ、このあたりにも開発の波が押し寄せています。新しい分譲地のなかにこの道標がありました。よくぞ残ったという感じでした。

2012年2月9日

 姫路市飾磨区構(かまえ)の真福寺周辺で3基の道標を見つけましたので、「的形周辺の道標」の「飾磨区中浜町1丁目の道標」の次に追加しました。ここは飾磨街道から少し外れ、亀山本徳寺から英賀保の西山御坊を結ぶ道筋とのことでした。

2012年2月4日

 本日は、姫路市青山の人丸神社前の道標から書写、辻井、八代本町、姫路城西の小利木町を歩いてみました。自宅まで延長して29,000歩でした。その間に5基の道標がありました。人丸神社前の道標は「山陽道(1)の道標」の「姫路青山の道標」の前に、その他の道標は「巡礼道、書写道の道標」末尾、書写道の道標に追加しました。ところで、人丸神社前の道標ですが、山陽道側から見たときは三叉路に見えたのですが、道標の前に立って廻りを見まわすとなんと7本の道路が交差していました。7差路は初めてです。

2012年2月2日

 姫路市田寺3丁目で文久二年(1862)の道標を見つけたので、「巡礼道、書写道の道標」末尾の書写道に追記しました。

2012年1月31日

 久しぶりの更新です。

 姫路市内書写道の道標、2ヶ所、3基を「巡礼道、書写の道標」の末尾に追加しました。これらの道標の写真は以前から手元にあったのですが、書写道のルートが判然としないので保留していました。今書写道の一部(北夢前台から曽左小学校北までの道は現在はない)が判明しました。これに伴い「巡礼道の道標」は「巡礼道、書写道の道標」にタイトルを変更しました。