―更新情報(2013)―

2013年12月25日

 今年最後の道標探しに出かけました。新たに2基見つけたので下記に追加しました。

加西市三口町の道標(3)は、「加西市の道標」の加西市坂本町の道標(3)の次に

加古川市志方町大沢自然遊歩道の道標は、「北条街道の道標」の志方町細工所の道標の次に

それぞれ掲載しました。

2013年12月14日

 一乗寺から加西市三口西交差点への参道およびその周辺で3基の道標を見つけたので、「加西市の道標」に追加します。

2013年11月16日

 「加西市の道標」(現在作成中)のページを、「巡礼道、書写道の道標」の次に新規に追加しました。
 西国26番霊場一乗寺を出発点として、丹波道、巡礼道(25番清水寺への)周辺の道標探しに挑みます。本日はその第一日目として加西市図書館へ調査に出かけたので、その途中の道標を掲載しました。

2013年11月8日

 旧街道に沿った日帰りコースもそろそろ限界にきたので、地元を再調査することにしました。本日は、姫路市の北部、神崎郡福崎町を散策し、道標を探してみました。4基の、それもかなり旧い年号の入った道標を見つけたので、「但馬道の道標」の末尾に追加掲載しました。

 一部「銀の馬車道」とも重複します。「巖橋」は「銀の馬車道」の方に掲載しました。

2013年11月1日

 3年ほど前にも探索に出かけて見つけられなかった稲美町草谷の「姫路領、明石領の分境石」を本日再挑戦してみました。以前はこれに関するブログも少なく、正確な場所も分からないままに出かけていましたが、かなり正確な情報を得たのでそれに従ってみました。以前は草谷川の北側とばかり思っていましたが、全くの間違いでした。川の南側でした。2基あるうちの1基は見つけましたが、2基目は、雑木や雑草が生い茂り、その上に溝や段差があり、老体では全く歯が立たない場所にあるのであきらめました。少し場所が離れますが、「加古川市北部の道標」の末尾に追加掲載しました。

2013年10月29日

 駅南大路に新しい道標を見つけたので、近寄ってみました。しかし、これは少し東の民家の前にあった道標でした。その民家が取り壊され、道標の周辺が駐車場になっていたので、駅南大路の歩道緑地帯に移設されたものと思います。移設の記録として道標は、「的形周辺の道標」の「移設後の飾磨区下野田の道標」として写真と共に掲載しました。

2013年10月25日

 中山道、鳥居本宿まで作成、完了しました。道標以外にも気になる史蹟、名勝が数多く目に止まり整理に時間を要しました。道標では表示されている文字が判読できないものも数基あったので、どなたか資料があればご連絡ください。

2013年10月18日(2)

 豊郷町へ向かう前に、前回見落とした五個荘(駅名は五箇荘)の御代参街道起点の道標を探しに途中下車する予定でしたが、電車は、2駅手前の八日市駅止まりでした。15分後に乗換えても五個荘では次の電車まで約1時間も開くので、ここから約5㌔を歩くことにしました。予定外でしたが御代参街道を逆に五個荘までたどることができました。道標は、「東近江市五個荘小幡町、御代参街道分岐の道標」として「中山道の道標(4)」の「東近江市五個荘小幡町太神宮の常夜燈」の次に追加しました。

 八日市駅のあたりは、額田王の「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」で有名な蒲生野でした。八日市駅の壁面に額田王と大海人皇子のレリーフがありました。

2013年10月18日(1)

 灘祭りも終わったので、中山道歩きに出かけ、犬上郡豊郷町(とよさとちょう)から彦根市鳥居本町(とりいもとちょう)までの中山道で道標を探してみました。新たに「中山道の道標(5)」(現在作成中)のページを追加しました。

 野洲市で中山道から分岐した朝鮮人街道は、鳥居本宿で再び合流します。この合流点の道標を今回の終点としました。

2013年10月4日

 作成中の「中山道の道標(4)」は、本日書込みが完了しました。近江商人の豪邸や神社、仏閣がたくさんありましたが、ほとんど素通りをしてしまい、説明も味気ないものになってしまいました。また、疲れて集中力が途切れたところでは、大事な道標を見落としたりしているので、次回は十分注意して歩こうと思います。

 道標追っかけのつもりが、いつの間にか中山道を走る観光バスのガイドさんになっているようです。

2013年9月24日

 台風18号も通り過ぎ、暑さもいくらか和らいだので約3ヶ月ぶりに歩いてみました。当初は武佐宿から彦根市の鳥居本宿まで(約24キロ)を予定していましたが、写真に手間取ったのと、やはりまだ30度の気温は応えました。ということで約半分の犬上郡豊郷町までで切り上げました。新たに「中山道の道標(4)」を追加します。

 JR近江八幡駅で近江鉄道に乗換え、1駅目が武佐です。帰りも近江鉄道で豊郷駅から彦根に出て、JRで姫路までです。JR近畿圏内1日乗り放題(含む近江鉄道)3,500円を有効に活用しました。

 (「中山道の道標(4)」は現在作成中です)

2013年8月17日

 加西市の三口西交差点の近くで道標を1基見つけたので、「巡礼道、書写道の道標」の冒頭に追加掲載しました。法華山一乗寺前の道標より東にあったので、ページの冒頭にしました。

 また、ついでに周辺の道標の写真も撮り直したので、一部入れ替えました。

2013年7月14日

 草津宿から武佐宿の「中山道の道標(3)」が制作完了です。今回は完了までに2週間以上を要しました。この辺りには土地勘がない上に、さすが中山道、沿道の歴史も深く、その調査に手間取りました。まだ誤りがあるかもしれませんので、点検中です。 ひとまず完了とします!!

2013年6月27日

  草津宿から、東海道を鈴鹿峠に向かうか? 中山道を関ヶ原方面に向かうか? 結局、姫路からの往復の便を考え、中山道に決めました。

 本日は梅雨の合間の薄くもり、歩くのにはちょうど良い日和です。という訳で今日は、JR草津駅から近江鉄道武佐駅まで約20㌔で道標を探してみました。東海道の続きで、新たに「中山道の道標(3)」のページを追加しました。

 今回は、自動券売機圏外の駅の切符の買い方や近江鉄道ワンマンカーの乗り方など、あまり役に立つとは思えない新知識を身につけることができました。写真は近江鉄道八日市線の武佐駅で駅の向こう側が中山道武佐宿です。

(「中山道の道標(3)」は、ただいま制作中です。)

2013年5月31日

 今までに数百基の道標を見てきましたが、大きさ、形、記述内容、使い方などさまざまな道標がありました。これらを私の勝手な基準で代表的な道標をランキングしてみました。末尾に「道標ランキング」のページを追加しました。

2013年5月8日

 「東海道の道標(2)」のページが、やっと完成しました。

 大津~草津の間は、史跡も多く、その上それぞれの史跡の情報も豊富なので、取捨選択に手間取りました。が、道標に関して言えばそれほど情報があったとは思えません。一部勝手な推測も入っているので、機会があれば現地の図書館でも行って確認したいと思ってます。

2013年4月25日

 本日は、JR大津駅からJR草津駅まで歩いてみました。この間の東海道は、一度も国道1号線と重なることのない旧道で、鍵の辻や三叉路なども多く複雑でした。地図では平坦そうでしたが、結構坂道もありました。また、街道沿いでは目的の道標はあまり見つかりませんでしたが、寺院や神社は数多くありました。念願の東海道と中山道追分の道標も見られたので歩いた甲斐がありました。今回の東海道は、とりあえずここ草津までとします。

「東海道の道標(2)」のページを追加しました。(現在作成中です)

2013年4月22日

 「東海道の道標(1)」京都市三条大橋から大津市札の辻まで、やっと完成です。この間は史跡も多く、一つ一つの歴史も深いのでコメントが冗長になったきらいがあります。そのために説明の段落ごとに●をつけることにしました。 写真の方ももっとわかり易い絵にしたいものです。

2013年4月16日

 街道中の街道「東海道」には、さぞ立派な道標があるのでは? そんな期待をもって東海道を歩いてみたいと思い、とりあえず京都三条大橋から中山道との追分のある草津宿までを計画してみました。本日はそのうち、京都烏丸三条の「京都市道路元標」から、大津市札の辻の「大津市道路元標」までの道標を探してみました。

 新たに「東海道の道標(1)」のページを加えました。(作成中です)

2013年4月5日

 神戸市西区枝吉以東の太山寺道は、同区玉津町を通り伊川の右岸に出て、ほぼ県道16号に沿って北東方向に太山寺へ向かうルートだったようですが、詳細はよくわかりません。

 本日は、山陽電車明石駅から明石城内を通り、神戸市西区に入って二越橋を渡り、伊川右岸に出てほぼ県道16に沿って歩いてみました。この区間は、東西に走る新しい高速道路やバイパスなどがあり道路事情は、手元資料である「神戸の道標」とはかなり変わっているようです。また、伊川の護岸補強工事なども行われていました。そのせいかどうかわかりませんが、資料ではあるはずの道標が3か所ほど見つけることができませんでした。

 本日のコースについては、「太山寺道の道標」の末尾に追加しました。

2013年3月30日

 今回は、明石市魚住町金ヶ崎から神戸市西区伊川谷町の「太山寺道」を歩くことにしました。その第1日目として山陽本線JR魚住駅から、太山寺道で道標を探し、山陽電車明石駅まで歩きました。

 新たに「太山寺道の道標」のページを末尾に追加しました。

2013年3月21日

 本日は、播但線京口駅近くの姫路城外堀の竹之門跡から飾磨まで歩きました。これで「銀の馬車道」完了です。当時の人も馬車も、生野から姫路までは1日で歩いていたそうですが、私は3日、正確には2日半(7万歩)かかりました。昔の人の偉大さをつくづく思い知らされました。「銀の馬車道」のページも終了です。

 

2013年3月19日

 銀の馬車道の第2弾として、JR甘地駅から福崎町、姫路市豊富を経て、姫路城まで歩いたのでその様子を「銀の馬車道」に掲載しました。

2013年3月16日

 久しぶりの更新です。今回は兵庫県朝来(あさご)市生野町から姫路市飾磨(しかま)に至る「銀の馬車道」を歩くことにしました。日本最初の産業道路といわれるこの道路は、明治6年から9年にかけて旧但馬道をベースに整備されました。その第1日目として、生野銀山から神河郡市川町(JR甘地駅)まで歩いたので、「銀の馬車道」のページを新たに追加しました。

 

2013年3月5日

 地図の修復完了しました。

記憶を頼りに修正したので、まだ若干のズレはあるかもしれません。もし、誤りがあればご指摘ください。

 

2013年3月1日

 お断り・・・地図をただいま修正中ですが、なかなか捗りません。現在メニューの上から「西国街道の道標(4)」まで終了しましたが、今しばらくご容赦ください。

 

2013年2月24日

 お断り・・・すべての道標の位置を示す「YAHOO地図」の表示位置が、少しづつずれて不正確なままになっています。鋭意修正中です。 位置表示マークを地図の中心に表示することに変更されたようですが地図はそのままなので、結果として表示位置がずれてしまったものです。

2013年1月26日

 「書写道の道標」田寺三丁目の道標(文久二年、1862)に「宿屋町」との表示があるのですが、その所在がわかりませんでした。本日の神戸新聞に「宿村絵図」が見つかったという記事があったので、上記道標の項に追記しました。